「音楽的センス」は純粋に楽しむ体験から作られる

コラム

 

「音楽的な勘や、センスを磨くこと」について考えてみました。

 

口ではみんな、ジャズはセンスが大事だから身につけろと言います。

私もそう思うし、音楽的センスがある人っていいなと思ったりもする。

この人のジャズのアドリブがかっこいいなと思う。

 

どうやってセンスや勘を身につけるのか。

 

いろいろ考えてみたんだけど体験の数をふやしてこそ、磨かれるのかなと思いました。

色んな音の組み合わせや、響きを自分で確かめる体験。

とにかく五感を使って、自分で感じてみる。

 

音楽でも絵でも、センスのいい人が発信するのを、崇拝に近い気持ちでマネしても、まったく意味がないです。

理由は・・それは誰かの体験記であり編集したものだから。

 

たとえばジャズのアドリブってどう弾くんだ?と思ったら、すでに出来ている人の本や発信をみて、なるほどそういうことか、と思う。

残念ながら、なかなか上手くいかない人はそれに、ただうなづいているだけ。

ジャズを弾いてみたい人は、いろいろ知りたいからみるのは当然です。

そして「そうか、それはいいな」と思う。

でも「なるほど、そうか」という感想であって、「これだ、わかった」という確信ではない。

仮に「わかった、やっぱりさすがだな」と思った後、「わかった部分」をちゃんと自ら体験してるだろか、わかった部分をいろんな曲に当てはめて試しているだろうか。

この体験が少なければ自分自身、発展しないと私は思うのです。

 

考えてほしんだけど、他人の体験記をみて、自分はジャズのアドリブが上手くなる?

やってみたけど、よくわからなかった、、という人が多いんじゃないかな。

 

それは自分のカラダを介してないからです。

 

音楽は圧倒的に、カラダを介してつかんでいくことが多い。特にジャズ。

もっと音楽が自分のカラダをとおっていく意識を持とう。

それは五感とも言える。

 

ワンフレーズが体の片隅に残るまで何度も聴く。

アーティストがこう弾いてら、そのままなぞったり。

 

もしも、こう弾いたらこんな音が鳴るんじないかな?

 

オクターブを変えてみたら違う感じになるかもしれない。

ここだけ黒鍵にしたら変?

 

何度も「こう弾いたらこうなるかも」・・と予測して弾いてみる。

 

筋がとおってないフレーズになったな、とボツになることなんてザラにあります。

先生が弾いたものと、自分が弾くフレーズはなんかちがう。

なぜだろう?

と、疑問に思う。

 

また、予測したとおりになることもあります。

上手くいき、なんとなくこれかな?と思ってたものが、だんだん感触をつかんでいく。

 

調子に乗って弾いていると、また予測がはずれてガッカリする。

 

結局は、確信してやっぱりちがうな、のくり返しなのです。

 

自分で体験したものは、自分しかわからない疑問や感想がたくさん出てきます。

そしていろんな体験がたまっていく。

 

センスや勘がいい人はもしもこう弾いたら?の「もしも弾き」

の体験が山ほどある人です。

 

本や、発信にはいいことがたくさん書いてあるけど、文字化したものをみて、たとえ頭でわかったとしても、自分自身が交錯するエネルギーには勝てません。

 

交錯というと、カオスのイメージだけど。

一つ一つ、ひもを解いていくのは自分です。

 

それは「良い瞬間」と「良い経験」

ふだん、絶対に使わない音も、

カオスの経験で、まさかまさかのかっこいい音に遭遇することに。

 

こう弾くと、こんな音になるんじゃないか?の予測を繰り返していくと、

「質のちがい」みたいなものがだんだんわかってくるんです。

情報にのまれてしまってる人は、ここの境目がわからない。

「質」じゃない、別枠の情報雑多の中に埋もれてしまってるというか。

 

自分の中に流れるフレーズは、実際自分が体験して作るものです。

また、お気に入りのジャズのフレーズを見つけて、何度も弾き、自分のフレーズにする。

音楽センスや勘ってこうやって作るものじゃないかな。

最近の五感で弾いた曲。何度も弾いていると「つかんだ感」がやってくる。

 

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